1952-07-29 第13回国会 衆議院 経済安定委員会 第35号
終戰後今日まで非常な物価騰貴、インフレの時代を切り抜けてともかくも安定への道を今日確保しておるわけであります。独立後いろいろむずかしい問題がありましても、あらゆる産業経済の推進をいたす上において、またその結果国民生活の安定をさせる上において、外国貿易をいたすについて、コンマーシャル・べースにおいて競争にたえ得るためにも、やはりインフレになることは好ましくない。
終戰後今日まで非常な物価騰貴、インフレの時代を切り抜けてともかくも安定への道を今日確保しておるわけであります。独立後いろいろむずかしい問題がありましても、あらゆる産業経済の推進をいたす上において、またその結果国民生活の安定をさせる上において、外国貿易をいたすについて、コンマーシャル・べースにおいて競争にたえ得るためにも、やはりインフレになることは好ましくない。
なおそれにつきましてお願い申し上げておきたいことは、終戰後今日までの間の輸入自動車に関する為替管理上の諸種の問題について、材料を御用意願いたい。
ところがその後、終戰後今日までの間にだんだん体両や何かが新しく更新され、そうしてまた交通需要も非常に増大いたして参りましたので、これに応じまして、自動車業者といたしましても多額の新しい資金が必要となりましたので、それに対応いたしまして、金融措置が行われておりまして、ただいま御質問のございました金融措置というものは、たとえば勧業銀行との間に昭和二十三年の十二月までに約八億円の融資が行われました。
通産省の産業行政の面の諸政策というものは、終戰後今日までは、安く大量に物を国民に提供するという時代だつた。ところが今日は、安いよりも、何とか値段をつり上げて、価格維持をして行かなければならぬという時代が来ておる。ところが電力は、さつきもちよつと触れられましたけれども、遅れておつて、まだ量が足りない。これは私どもももう少し量をふやしたいと思つております。
私の申すのは、終戰後今日まで、中国なくして日本の経済はできておつたから、故に中国によらねば日本の経済は立たんという幻想は持たないのであります。(笑声)
又その外国の力のみによるべきではありませんが、国民の終戰後今日までの努力というものは容易ならざるものがあり、この努力の結果は更に新らしい日本の国力として養い得ると私は信じて疑わないのであります。決して政府は甘くものを考えて、そうしてなすべきことをなさないのではなくて、なしたいことはありますが、なすことのできない事態にあるので、成るべく国力を養成して種々の問題に対応したいと考えておるのであります。
終戰後今日まで、我が国経済力もかなり回復して参りまして、国民生活もやや安定せる段階に到達いたしましたことは、過去三ヵ年に亘る吉田内閣の政策に対し国民がこれに協力して来たことによるものでありまするが(「協力しないま」と呼ぶ者あり)総理も言われるように、明治以来幾十年の国富の蓄積は、敗戰によつて一挙にして消し飛んでしまつたのであります。我が国の経済力は極めて底が浅い現状にあるのであります。
それから第一国会が始まりまして今日までの間において二十二年度には驚くなかれ百十三作つて、二十三年度百二十四作つておる、二十四年度百二十四作つておる、二十五年度百二十一作つておる、從つて終戰後今日までに我が国が作つたというものは明治の憲法が始まつてから終戰に至るところの八百八十の法律を遥かにオーバーしておるのですよ、五百七十二件作つているのです。
これに対しまする経済政策というものを考えて見ますと、いわゆる経済政策というものは概観してあらゆる部門に均衡のとれたものでなければならない、とれたものが必要じやないか、特に戰争中とか或いはそういつた場合を除きまして、一般の場合には経済政策というものは均衡のとれたものでなければならないと思うのでございますが、ところが終戰後今日までの多くのこういつた経済政策というものを眺めて見ますと、先ほど申しましたようにややともすればそれは
○国務大臣(橋本龍伍君) これは終戰後今日までの間、特に電話の問題でありますとか、それから自動車、自転車の問題、タイプの問題等は非常に困りまして、そうして現在までのところ余裕が幾らかでも財政的にできるたびに改善して参つておりまして、官庁の電話等も前に比べれば、役所の電話が丸きりかからないという時代に比べてかなりよくなつて参つたと思つております。
○曾祢益君 戰前の比率ははつきり伺えなかつたのですが、とにかくこの終戰後今日まで、沿岸漁業が非常なオーバーロードになつておると思うのです。従つてこれを日本の見地から見まするならば、漁業の保存と言いまするか、魚族の保存の見地から言いましても、かような状態においては日本の沿岸における魚族の保存ということは到底不可能である。
併しながら、現に終戰後今日まで六年の間、中国貿易なくして日本は立派に存立いたすのみならず、ますます日に繁栄を加えておるのであります。(拍手)これは事実であります。その事実を何と説明するかと、私はお尋ねしたいのであります。中立條約を以て日本の独立を守る、これは痴人の夢であります。ソヴイエトのごときは日本との間の不可侵條約を破棄した国であります。
しかしながら、中共が入らない、そのために自立ができないようなお話でありますが、今日まで中共との関係は、友好関係はないのでありますが、ともかく終戰後今日まで五年の間、日本は独立経済に向つて進みつつあるのであります。日に日に自立経済が成りつつあるのであります。(拍手)これによつて考えてみても、中共との間に友好関係がないならば日本が滅びるというようなことは、これは言い過ぎではないかと私は考える。
勿論これは国家の財政の都合上というような御答弁で今まで、放置せられて来ておつたわけでありますが、第九国会におきましては、いわゆる国民の要望熾烈な観点と、同時にもうすでに終戰後今日の状態になりました関係において、いわゆるこの公共の即ち問題を普遍的に地方にも滲透さして行かなければならない、こういうような考えからいたしまして、第九国会におきましては、全回一致を以てこの新線建設の問題は決議となつて現われておることも
これはなるほどその兵舎といい、いろいろな土地のかつこうといい、警察予備隊が戰車の訓練をなさるにはかつこうなところでありますが、終戰後今日までそこを基盤にいたしまして、開拓者の子弟養成にずいぶん努力して来まして、ようやく芽が出ましてこれからだというときに、またその仕事を全部やめなければならぬということになるのであります。
○カニエ邦彦君 その点でありますが、当然終戰までに行われ、又終戰直後に行われた行為はそういうことで了解できるとしても、終戰後今日までもう相当な年月が費されて来ておるのですから、その間に運搬上なくなつたとか、或いは盗難にかかつたというものも、逐次会計検査院と了解の上で、それの責任を問わないということじやおかしなものであつて、その点の限界はどういう工合に行われておるのか、或いは終戦後一年以後においてそういう
それから港湾につきまして、これは特に終戰後、殊に最近におきまして、いろいろ外国貿易の要請地蔕等もございまして、重要港湾等に特に重点を置きまして予算を計上し、かたわら地方港湾等におきましても、今後のいわゆる輸送能力その他個所別に検討いたしますると、おのずから終戰後今日に至りまする時間の経過と共に、輸送上の特に重要地点と認められまする港湾、殊に地方港湾といえども相当利用性を持つておる点を考慮いたしまして
朝鮮動乱後のわが国経済情勢には、かような幾つかの注目すべき現象が見られるのでありまするが、顧みてわが国経済の基盤に思いをいたしますならば、わが国経済は、終戰後今日まで、巨額に上る米国の援助により、まかなわれておるのであります。また企業の蓄積資本は不足し、国土の復旧は思うにまかせず、わが国経済の発展の基礎はいまだ十分ではないといわなければならないのであります。
朝鮮動乱後の我が国経済情勢にはかような幾つかの注目すべき現象が見られるのでありますが、顧みて我が国経済の基盤に思いをいたしますならば、我が国経済は終戰後今日まで御承知のように巨額に上る米国の援助によつて賄われておるのであります。又、企業の蓄積資本は不足し、国土の復旧は思うに任せず、我が国経済の発展の基礎は未だ必ずしも十分ではないと言わなければならんのであります。
○岡田説明員 造船資金につきましては、終戰後今日まで五回の造船をやりました。従つて民間からこの造船に対して出されておりまする資金が、非常に巨額に上つております。民間銀行から設備資金として出ておりまする資金は、二百数十億に達しておる状況でございます。従いまして本年度第六次造船をやりまする場合に、市中からさらに巨額の資金を仰ぐということは、非常に困難な情勢になつたのでございます。